「第三の人生」って?
巷でよく言われます〝セカンド・ライフ(SL)”を 拙者は〝第三の人生” と呼んでます。籠められて
セカンド・ライフ(SL)は企業が社員に向かって使う言葉で有り、社員が会社を定年退職しても手厚く支援したい気持ちを表現した企業側の視点から生まれた言葉です。
(何か変な気持ちが籠めらてませんか? 長年お世話に成って、SLプログラムで多くの支援を頂いたのに・・・)
第三の人生AI🤖の呟き「ソンナコトナイデスヨォ、チャント、カンシャシテマスヨォ。」 (なんで、突然の代行棒読み?)
企業視点のセカンド・ライフとは、当に退役して会社から離れる事への対応方法を示す代名詞です。年金が出る迄の再雇用、年金の仕組みと運用方法、其の先の医療や介護、誠に有り難い事です。会社から離れる事を手厚く指導してくれます。しかし、社会から離れる訳では無いです。決められた定年と云う境目で、会社から勇退するだけです。其の時からも社会での人生は力強く続きます。
方や、経済産業省(METI)と内閣官房(まち・ひと・しごと創生本部事務局)が運用してますサイト
を訪れてみますと、日本に住む人々を大きく下記3つに分類して、分析情報を提供してくれます。
年少人口(0歳~14歳)、
生産年齢人口(15歳~64歳)、
老年人口(65歳以上)
此の3つの分類は、経済生産活動に視点を置いた分類です。そして、能動的に今日を生きる者からの視点でも、此の分け方が良いと思えました。なお、分類に当て嵌める年齢は、当然、科学的に統計分析する為に引かれた境界値です。「儂は70過ぎても、誰にも出来ん技術で良い品質のXXを作っちょる。」と、立派な方は多く居られます。しかし、雇用されて給料を得ると云う形で生計を立てる人が大半を占める今の社会では、日本の人口を上記の如く3つに分類して分析する事は適切と考えます。
更に、此の世に生を受けてからを他界する迄を分けるとすると
①依存期:親や恩師から学んで育ち、
②能動期:雇用を受けて前線に出て、
③受動期:今迄の主軸から離れて、
と、3つに分けるのが普通と考えました。ですので、老年層は人生の三番目の期なので、セカンド・ライフと呼ぶ事を避けて、第三の人生と呼ばさせて頂きます。
学びを軸とした若かれしあの時も人生の一部です。年少人口に分類される①依存期では、毎日が楽しく、反省し、涙しました。日々、ころころ変わり、妙に忙しいかったので、当時は不思議に〝人生とは?゛って振り返った事が無かったですね。でも、平均寿命の2割を占めたあの時は、立派な自分の人生であり、ファースト・ライフです。忘れては、勿体無い。ん~、YOLOですかね。(Lは、Lookでは無くて、Liveの方。消えへん魔法を描くねんかぁ~♬、ね。)
学びは、大学/大学院まで続ける方も居られるでしょうし、義務教育を終えられて直ぐに生産活動に人生を移す方も居られます。一方、老年に成っても責任を持たれて生産活動を持続されてる方も居られます。
以下、〝人口゛を〝層゛に置き換えて、統計分析から得られる数値では無く、此処からは其の〝人口゛に括られた人々を観る視点に移ります。
社会(経済)の中心は、やはり②生産年齢層です。其れに引っ張って貰う①年少層・③老年層はナニをすべきかを我々は考えなければ成りません。望む形は、社会が②生産年齢層の人口変動を理解し、
①年少層は、時に生産活動を援助して、②生産年齢層をから学びを真摯に得る。
③老年層は、時に生産活動を持続させて、②生産年齢層を支える。
でしょうか。(曖昧ですが、ご容赦下さい。)
(ちょっと危険な余談を。
拙者の永年の疑問ですが、政治の世界では高齢者が異常に多いのは何故? 政治は生産活動では無いから? 横道逸れて、ご容赦。)
拙者が第三の人生を使うのは、セカンド・ライフのマイナス色を嫌ってです。もぅ、ファースト・ライフは終わりましたよってな。第一の人生(年少層)で抱いた想いを忘れず、第二の人生(生産年齢層)で培った年の功を第三の人生(老齢層)で社会に還元したい。だから、拙者の今を第三の人生と呼んで、前向きに社会へ進んで行きます。